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パタゴニアでセルベッサするべっさ

01.jpg  今年のゴールデンウィークは何年かぶりに旅行に充てることができた。たまたま、知り合いがチリに長期赴任していると言うことと、去年の夏休みはアラスカの北の端まででかけたので、今回は、南米のパタゴニアへ向けたい思いとなった。


 

§ 準備

 当然ながら、南米へのツアーや情報は少なく、手頃な金額での実現も困難なので、航空券と一泊分のホテルを確保して現地手配な感じで行けるところまで行ってあきらめるしかないだろうと漠然と思う。あー、長く休める学生がうらやましい。
 まずは、航空券だが、ここ何年と溜まったノースウェスト航空のマイレッジ特典旅行(無料航空券)を使いたくても使えない状況(特典用に割り当てた座席数には限りがあり)が続き、無意味感がずーっとあってあてにしてなかった。ゴールデンウィークまで後2週間というところで、朝起きてなんとなくインターネットでチョイチョイとすると、ロサンジェルスまで簡単に確保できた。なんと、行きはビジネスクラスまで確保できた。 やっぱり、テロ、戦争、感染症と旅行の人気は、がた落ちらしい。
 知人は、チリのプエルトモンに滞在しているので、何があるのか知らんけどそこまでは行きたいので航空券の確保に奔走する(ほとんどはインターネット上で本当の奔走はしてないが)。最初にランチリ航空でチョイチョイするが、最後のクレジット番号を投入するところのページが正しく表示されずに挫折した。
 次にランチリ航空と同じワンワールドと言うマイレッジプログラムを行っているアメリカン航空でチョイチョイするが、やっぱりクレジットカードで挫折する。ここは、アメリカ、カナダ、イギリス在住者でないと購入できない。
 しかたなく、アメリカン航空の事務所に行って「売ってくれ」と言えばいいかと思い、出かける。有楽町の事務所では、「最初に日本出る航空券の入手元で買うんだよ」「そこがダメなら売るけどノースウェスト航空なら買えるよ」と言われる。都合がよかったのは、ノースウェスト航空も有楽町に事務所があるのですぐ行けた(今は勝どきに移転したけど)。
 「あんまり値引きできないけど買います?」とやっと航空券を入手した。
 それからガイドブックを買って、南の端には何があるか確認。ざっくりパタゴニアと呼ばれる地域なのだが、昔々に読んだ椎名誠の文庫本を思い起こしても、「荒々しい自然」「風の大地」「冒険っぽい場所」などがぼんやり頭をよぎるのみで、ピンとくるものは無い。ガイドブックから旅のポイントは、トーレス・デル・パイネ国立公園か最南端のプエルトウィリアムスに足跡を残すかどちらかであり、両方は時間的に困難であることがなんとなく理解できた程度である。
 さらに情報収集をするが、DAPというローカル航空会社のインターネット情報は、時刻表すら3月のまま更新されていない。メールによる問い合わせで、予想通り寂しい時刻表が着たが、返事があっただけよかったと思う。
 じゃ、最南端は難しいかと思い、その国立公園の情報を知人の知人(プンタアレナス在住の3人いる日本人の1人)に伺うと、「夏に行かないと無意味」とか「トレッキングしないと本当の自然が味わえない」とか意見をもらう。 季節や天候によるならば天気はどうかと言うと、長期予報では、雨、雨、風、雨、雨、雨、雨・・・と、一日の天気予報に「風」と言う予報はともかく、気象衛星からの映像も2,3日変化がないので、まったくのダメダメらしい。
 地球上の天気が俺の都合に合わせているわけではないのでしかたない。
 とにかく、一泊目の宿を確保せねばと、みつくろったホテルにメールしてみるが全然返事がない、返事があっても「メールボックスがいっぱいで届けられません」と機械的なもの。しかたなしに手頃なホテルに国際電話する。
 なんと英語が通じない。むろんこっちの英語力にも問題が無いわけではない。「予約したい」旨は伝わるが、「今日か?」「今日じゃない」「ナンジャカンジャ(たぶん日にちを聞いている)」「5月2日だ」「今日か?」「今日じゃない」「ナンジャカンジャ(たぶん日にちを聞いている)」「5月2日だ」「今日か?」なーんて感じで進まない。ある程度すると両者とも「あー」とか「うー」とかのお互い「あんたの言葉わからんモード」に入ってしまう。
 これでダメなら電話を切るしかあるまいと思い、「海外旅行に役立つ会話集」風な本をワシワシめくる。探している間に切られるのは困るので「あーーーーー」と困った調子で延々発声するのが悲しい。
 日にちは「ドス、マヨ」で理解したらしい。ドスは「2」のこと、マヨは「5月」のことで、マヨネーズとは関係ない・・・。名前を伝え、料金を聞き、不安を抱えつつも一件落着した。

§ 出発

 結局、行った先でどうするか決まらぬまま、成田に向かう。昨年の夏休みは成田エキスプレスが満員で、危うく飛行機に間に合わないところだったが、今回は空いている。成田のチェックインカウンターも空いている。第1ターミナルの某航空のカウンターは、感染症予防のマスクした係員が悲しい表情を見せている。
 チェックインカウンターへの行列では、いつもファーストクラスやビジネスクラスが空いていて、そんな不公平さがうらめしい感じだったが、この日はまったくの公平でせっかくビジネスクラスでの優越感が台無しじゃーん。
 出国審査場もガラーンとして、数十あるカウンターは3つしか開いてない。並んでいる人もいない、一人もいない。全くいない光景はマジで怖い。係官に初めて話しかけてみた。「今までこんなに空いているのは見たこと無いっすねぇ」と言ったら、係官はマスク越しにくぐもった声で「そうですよ」と寂しそうに返した。
 成田15時40分発、ロサンジェルス同日9時20分着、入国審査、荷物は一旦受け取り乗り継ぎ専用カウンターで再度預ける。ランチリ航空のチェックインカウンターのあるターミナルビルまでテクテク移動、ロサンジェルスは相変わらず天気がいい。ランチリ航空はJALやANAのカウンターと並んだところにあり、日本人がたくさんいる。
 成田で買ったパソコン雑誌を読み終え、出国審査、ロサンジェルス14時10分発、途中ペルーのリマで給油、サンチャゴ翌日6時5分着となる。
 サンチャゴ時間に+13時間(夏時間)で日本時間なので、(24時間+(6時5分+13時間))-15時40分=28時間25分が成田から経過したらしい。もちろん、これを書いている時に計算したのであって、この時点では、知ると気になるのでわざと計算しない(正確には面倒くさい)。
 サンチャゴ空港はとても近代的で清潔である。入国審査後、また荷物をピックアップし少しだけチリペソに両替(1USドル=約700チリペソ)する。国内線のカウンターがある3階へ移動し、またまたチェックイン。20人ぐらいがボーディング待ちしている。
 サンチャゴの朝日はまぶしい。開店したばかりのミスタードーナッツ(風)でコーヒーを買い、タバコを吸いながら7時30分発のプエルトモン行きの飛行機を待つ。そう、まだ乗るのだ。
 一人離れてタバコを吸っていると、アジア系の怪しい人がタバコの煙を漂わせ近づいたり離れたりする。何かしゃべりかけたいのだろうけど、こっちには用事がないのでどうしようもない。空港の出口にありがちな「ヤスィカンコゥ?」「ヤスィオミヤゲェ?」「ヤスィタケスィ?(タクシーのこと)」とかってぇのは、どこの国でもいるんだが、なにぶんここは空港の中なので、ますます怪しい。文庫本(宣戦布告・上)を読んでいると、我慢できずにとうとう話しかけてきた。
 チリ国籍日系二世のTさん(推定35歳)は、水産関係の仕事しており、プンタアレナスに行くのだと言う。仙台に留学経験があり日本語は問題ない。水産関係者かと問われたが、普通(?)の観光客と知って興味が半減したような顔色である。知人も水産関係で赴任しており、一頃から日本ではチリから水産品をたくさん輸入していることから、どうやら「単独日本人=水産関係者」という公式ができていると想像できる。
 乗る予定の便は、プエルトモン経由でプンタアレナス行きなのである。どうやら、お互い怪しい人物でないことがわかり、なぜか名刺交換などをして世間話などをしていると空港内にアナウンスが流れた。英語なら聞き入るところだが、そうじゃないので放って置いたら、「あんたのことを呼んでいるんじゃないかな」とTさんが言う。「スペイン語ではYをJと発音するので・・・って聞こえたでしょう」と邪魔者のように呼ぶらしい。「じゃ、係員に聞いてみますよ」と立ち上がったが、彼も同行して話しを日本語に通訳してくれた。
 どうやら、「今、プエルトモンは霧で着陸できないから次の便で行け」と言うことらしい。そうかと、Tさんにお礼を述べて別の待合室に移動する。
 サンチャゴ8時5分発、プエルトモン9時45分着。総合計で32時間5分と言うことらしい。書いていて、やっぱ遠いと再認識させられる。 さて、プエルトモン上空から見えた空港周辺に放っておかれた点在する飛行機事故の残骸を気にしながら、宿の予約は本当に大丈夫だろうかと考えもしつつ、プエルトモン空港の出口に向かうとなんと知人が手を振っていた。「アミーゴがくるからと言って、仕事をオフにしたよ」とのこと、予想してなかったのでビックリはしたが、見知らぬ町では大助かりである。

02.jpg ※プエルトモンの市場(アンヘルモ)


§ プエルト・モン

 宿帳には不思議なくらいちゃんと予約者として名前が載っていて、電話の苦労は報われたようである。ササッとシャワーを浴び、知人の案内でいろいろなところへ連れていかれることとなる。
 プエルトモンは思ったより活気があり、人々もよく出歩いている。店もたくさんあり、店子が入っていないような様子は少ない。パトカーや警官も目立たなければ、危ない目つきやホームレスも少ない。新しそうなショッピングセンターもある。経済も治安も危機的な事態でないことは簡単にわかる。ここから南は人的災害に遭うことは無いだろうと一安心である。
 気になったのは野良犬、小型犬、中型犬なのだが非常に多い。雑種なのだろうが、どう見ても有名なあの種とこの種が混じっているのとかがいる。胴が長くて毛がフサフサしているのとかは、ちょっとおかしい。全て狂犬病検査をしているとは思えないので、用心が必要かも知れない。
 日本からは思いもしないことだが、目の前の湾を出たら太平洋で、日本の東側の海と同じ名前なんて、なかなか信じられない景色が広がる。そして全く天気がいい、気温も思ったより暖かく上着もいらない。
 まずは、ビジターズセンター(観光案内所)に向くが、間違えて旅行会社に入ってしまう。こっちの用件からすると50歩100歩だったので、南の観光情報はどうかと聞いてみた。 日本で考えた段取りでは、さらなる南の手配はプエルトモンで2日間ぐらいは調査や手続きに必要かと思っていたが、旅行会社のお姉さんは、わかりやすい英語で「明日出発すれば、明後日の日曜日にしかやってない氷河クルーズも参加できるわ」と言う。
 さっきプエルトモンに着いたばかりで、ほとほと長くベッドへ横になりたい感じもあったが、大半の迷いはこれで解決するので、まんまとお姉さんの口車に乗り「じゃ、それでお願いします」とトーレス・デル・パイネ国立公園に行くことになった。

03.jpg ※おでん風の名物料理(クラント)


 それから、町からほんのちょっと北に行ったアンヘルモの魚市場でクラントと言う「ベーコン、ソーセージ、鶏肉、ジャガイモ、ムール貝、ハマグリっぽい貝などが入ったおでん風」とセルベッサで昼食とする。市場なので素材がいい。素朴な味付けがセルベッサによくあう。できれば、ベーコンとソーセージは別にしてくれると日本人好みかもしれない。
 そして、高速道路を使い、北のオソルノまででかける。好天の中、リゾート地のプエルトバラスからジャンキウェ湖畔を進み、本当に富士山に似たオソルノ山と滝などを眺めた。ここで写真を撮ったら、御殿場や箱根と勘違いするのは必須である。

04.jpg ※オソルノ山


 涼しい風が気持ちいい日である。この辺はドイツからの入植者が多いらしく、町の雰囲気もそんな感じである。また、ここから近いアルゼンチン国境のあたりは、スイスからの入植者が多いとのこと。なるほど、想像した割には落ち着いている原因はそこにありそうである。 日暮れとともにプエルトモンに戻り、ドイツ料理屋で晩飯を食う。白身の魚にホタテがサンドされたシンプルなグリル料理を満喫した。セルベッサも瓶セルベッサなのだけど本当の生セルベッサの味がする。 ここまでくると、セルベッサがビールのことと気付いたかな・・・。
 翌日の昼前に、昨日出てきたプエルトモン空港に戻り、プンタアレナス行きの飛行機に乗る。本格的にパタゴニア地域に入っていくわけだが、飛び上がってから間もなく眼下に重そうな雲がかかる。知人によると左側の席からアンデス山脈を見ておけと言うが、ちょっと山の先端も見えない。1時間30分ぐらいのフライトでプンタアレナスに到着する。 後で知ったがプンタアレナスは、某日本のテレビ局の企画でヒッチハイクしてアメリカ大陸を縦断して行く企画の出発点だったらしい(ダースベーダーのテーマで出てくるTプロデューサーが懐かしい)。

§ ガブリエルさん

 出口にクイズの解答よろしく名前の看板を持った旅行会社の人が待っている。すらりとした体格に長いまつげで小顔のお嬢さん・・・・。と思っていたら「あ、この人があんたのガイドのガブリエル(インディオ系コテコテのおっさん、推定55歳)だから、あの青い車に乗って・・・。」と、車に押し込まれる。10年落ちの三菱ギャラン風の乗用車(たぶんヨーロッパ車なのだがよくわかなかった)である。この時点でわかったが、ガブリエルさんはこのツアー4日間、専属のガイドらしい。
 そういえば、「細かいスケジュールとかって聞いてないなぁ」と気付く。今日は空港から南にあるプンタアレナスの町には寄らず、北上しプエルトナタレスまでの移動だけとなる、300kmぐらいらしい。止まりたいところで「止まりたい」と言えば止まるらしい。どうやら、「概ね行きたい方向に行くし、あんたの都合も聞くが、細かいことは行きあたりばったりだよツアー」の様相。さらに、ガブリエルさんは英語がカタコトしかしゃべれない。
 最初は色々と説明してくれるのだが、10%ぐらいは英語で20%ぐらいは身振り手振りで、残りはサッパリわからない。なので、ここから先に書く内容は保証できない。
 途中でラジオの電波が届かなくなり、カセットテープを鳴らす。YMCAやオリビアなんだっかと言うダンスソングやらがかかる。20年ぐらい前の曲が続く・・・、なんとなくパタゴニアのドライブって感じがする(ことにしておこう)。

05.jpg ※ニャンドゥ


 延々と牧場が続く、羊が圧倒的に多い、ついで牛、馬の順。やがて変わった山羊風の動物が柵の中にいるのに気が付く。ガブリエルさんは「なんとかかんとかヤマナカなんたら」といった。それで「山中か?」と聞いたら「山中だ」と答えた。 よくよく聞くと、「リャマ」と「アルパカ」を掛け合わせた動物で「リャマ+アルパカ=リャマパカ」らしく「リャマパカ」が「山中」に聞こえたらしい。たぶん、売れ筋の毛糸にするのに都合がいいように改良したのだろう、まだらも無く淡い灰色の単色の毛だった(ただの汚れかもしれんが・・・)。染めやすいかもしれない。
 また、ほどよく行くと今度は、ダチョウの親子が車道を散歩している。「ニャンドゥ」とガブリエルさんは言うので、「おおっ、これが聞きしにまさるニャンドゥ」と車を止めてもらって写真に納める。寄って行ってもあわてる様子はないが、同じ距離をおいて、こっちの速度に合わせてジワリジワリと逃げていく。
 まあ、広大な荒野を車は順調に進み、途中「なんとか」と言う風で小さくなったテーブルマウンテンを見て、「なんとか」と言う木や丘や川や沼を越えていくのだが、名前も覚えられなければ、由来も不明瞭な状態・・・。
 時折、風が強い話しが出る。風が強い地方とは聞いていたので、ガイドとしては風の話しをしないわけにいかないらしい。ガブリエルさんの話しでは、風速100km/h以上だそうだ。日本では「m/s」の単位なので・・・、100000÷3600=27.7m/s以上か、今わかったけどちょっとした台風って感じだな。ふむふむ。
 谷を横断するような道でガブリエルさんは、左手でハンドルを握りながら「ビュービュー」と、右手を広げ右上から左下へ何度も動かす。「ここは風が強いところだ」と教えてくれる。道には道路標識が出ていて、「風が強いので運転注意」と書いてある(らしい)。

06.jpg ※プエルトナタレス


§ プエルト・ナタレス

 さて、プエルトナタレスに着いた。上空は重く曇っているが、遠くに見える山並の方は夕日があたってオレンジ色だ。ガブリエルさんは、明日もいい天気だと教えてくれた。 ホテルは、ウルティマエスペラント湾の岸辺にあり、雪を乗せた遠くの山々がよく見える。晩飯までは、ホテルのバーで「ぼおー」と景色をつまみにセルベッサを飲む。とっても静かなのだ。
 スペイン語圏はどこもそうかもしれないが、ここも昼飯が2時ぐらい、晩飯が21時ぐらいと遅いので、レストランもそれに合わせて開く。日本の感覚でいると、「えっ、このレストランのオープンは20:00かよっ、遅っ」って感じで、「夕方だから、もういいだろう、セルベッサ、するベッサ」なーんてオヤジギャグを飛ばしていると、晩飯までに体が「本日終了」宣言しちゃう可能性が高いのだ。
 なので、セルベッサを一旦打ち切り、ちょっぴり静かな町をうろうろしてみたりして、インターネットカフェとかでチョイチョイしたり、スーパーで水とかスナック菓子を買ったりして、いろいろ用事を済ませ、後は晩飯喰ってすぐ寝るだけモードに入れる必要がある。
日曜日が来た。昨夜の晩飯のサーモンが大量で息が鮭臭い感じである。シャワーを使おうとするが水が出ない。出ないのは水で熱湯は出る(逆はよく経験するが・・・)。しかたないので、洗面台で首から上だけで諦める。出がけに、廊下でホテルの従業員に会ったので、部屋に引き入れ説明する。「シィー、カリエンテ。ノー、アグア(スペイン語のつもり)。ダカラ、ナオシテオイテネ(スペイン語風ニホンゴ)。」無理無理理解させられるようになってきた。

07.jpg ※ウルティマ・エスペラント湾


 さあ、氷河クルーズである。ガブリエルさんの車から船着き場に移動するが、ホテルから見える距離である。
 例によって当日のスケジュール確認。朝9時出港、帰りは16時らしい。見に行く氷河もガイドブックに出ていたグレイ氷河かと思ったらセラーノ氷河だと言う。そんな氷河はガイドブックに出てないじゃん。
 船はウルティマエスペラント湾を上流に向かう。湾は入り江になり川となって滝となって氷河になる(正確には川か不明だが、誰かが川だと言っていた)。船はゆっくり。船内で配られたパンフレットに見所が二カ国語で書いてある。船内放送でも適当に見て欲しい場所の方向を教えてくれる。滝で虹も見えるが、いつも日が出ているわけではない。船は遅い。時々、二階の甲板に出て写真をとる。お茶を飲む。文庫本を持ってくればよかった。船はかなり遅い。
 景色は山々に囲まれ、しぶきも塩味がしない。途中の川の合流点は迫力のある景色で3階のデッキでを撮る。船は合流点を右に曲がる。「2階のデッキにいる人は1階に降りてくれ」と放送がある。突然、船が揺れだした、川の流れや風に横向きになる状態なのだ。震度7(体験したこと無いけど)、手すりにつかまっても危険な状態で移動ができない。一緒に2階に居合わせた連中と手を取り体をと取りやっと1階に降りた。降りたら揺れは収まった。揺れている時間は1,2分だった。た。

08.jpg ※セラーノに向けて


09.jpg ※セラーノ氷河


 3時間かかってセラーノ氷河についた、20分ぐらい歩くと近くまで行ける。水に浮かんでいる氷に触ってプラスチックじゃないことを確認した。帰路、ピスコ(地元の焼酎)を氷河でロックにしたのがサービスされる。風は船が進行しているにもかかわらず、後から前に吹いている。操舵室の前の甲板に操舵のじゃまにならないように座った。風が当たらずいい感じのところを発見した。活字や送電線などの人工的なものは、この船だけだ。いい景色はいい。
 船着き場から歩いてホテルに帰れるのに、ガブリエルさんは船着き場で待っていた。途中にあるレストランを指さして「ここのカニは美味しい」は言う。
 一旦ホテルに戻り(熱湯しか出ない部屋は直らなかったらしく、広い部屋へ引っ越しとなった)、また町を散策がてらチョイチョイし、そのレストランでカニを食う。 カニはメニューの中で一番高いのだ。でも、5000ペソ(800円ぐらい)なのだ。そのほかの鮭とか鱈は半額ぐらいで喰える。日本だったら、店の前に「名物、チリのカニが爆安!」とか「激安!元祖チリのカニ!!」とかって旗が立ちそうな感じ。
 カニはシーズンでは無いので冷凍ものであるのは予測できたが、凄い量が出てきてビックリである。レタスの上にカニ缶の大きいやつ三つ分ぐらいの量がある。それにマヨネーズがかかっている。これならどこの店も味はかわらないだろうと思ったが、解凍方法がよいのか、水っぽくなくてカニの味もしっかりしている。口の中をカニだけで充満させてみた。セルベッサがうまい。

10.jpg ※グアナコ


§ トーレス・デル・パイネ国立公園

 翌日、朝飯を食っているとガブリエルさんが時間より早くやってきて、いっしょに朝飯喰った。今は曇っているが、今日も天気がいいと言う。
 今日は、トーレス・デル・パイネ国立公園に行って、そのままプンタアレナスに向かうことになる。
 途中、ミロドンと呼ばれる熊と同等な大きさのネズミだかモグラだかがいたというミロドン洞窟に寄る。毛皮などが発見されているが、時代考証がけんけんがくがくとしており、さらに表の場違いなところに飾ってあるミロドンの模型なんかが、ちょっと眉唾な印象を受ける。 洞窟は意外に見晴らしがいい。ガブリエルさんは、海底がマグマによって隆起した後に氷河で削られた土地だと言う。玉砂利がぎっしり詰まった岩の大地である。氷河が削ってできた谷は、深紅の紅葉に挟まれどこまでも続いている。
 道は程なく砂利道となる。ここからもパイネの山々は見える、天気も問題なさそうだ。後100kmぐらい行くとトーレス・デル・パイネ国立公園となるとのこと。砂利道を走る音や震動は久しぶりだが、意外と心地よかったりする。
 突然、「第一グアナコ発見」。道ばたでぼんやりしたグアナコ一頭を見かける。とても間近で、車の窓を開けるだけで手が届きそうな距離である。グアナコは、こちらを特に気にする様子もなく、遠くを眺めながらゆっくり歩く。写真を撮らせてもらい、「グラシャス」とグアナコに礼を言った。土手状の道だったが、土手の下が見えるような場所になると、眼下にグアナコの軍団が現れる。何十頭いるだろうか、さっきのグアナコはここからはぐれたか、見張り役だったかもしれない。

11.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園1


12.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園2


13.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園3


14.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園4(サルト・グランデ)


15.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園5


16.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園6(ちなみに無風です)


17.jpg ※トーレス・デル・パイネ国立公園7(グレイ湖)


 トーレス・デル・パイネ国立公園の中は、牧場もない、送電線もない、ありのままの自然だけである。次々と現れる美しい風景とグアナコ軍団、正午を頂点に天気にも恵まれた。ハイライトはグレイ氷河であるが、ここは氷河がメインではなくて、パイネの山々と氷河を背景にグレイ湖のほとりを小一時間ほどトレッキングするのである。
 ビューポイントに到着し休憩していると、向こうに見えるグレイ氷河の奥に雲が垂れ下がり始める。晴れ間は無くなった。
 山向こうの遠くから、甲高い雷鳴音と隕石が地球に衝突する重低音が重なって響いてくる。どこかの氷河が崩れ落ちる音だ。
 突然、上空から暖かい風が舞い降りてきた。ガブリエルさんも驚いている。ほんの数回しか起きなかったが、この場所では起こりえないと思われる温度の「むーん」とした風である。夕方になり、帰路をプンタアレナスに向けたところで雨粒が落ちてきた。
 夜、YMCAの音楽にウンザリした頃、プンタアレナスの町に入りラジオに切り替わった。

18.jpg ※プンタアレナス


§ 帰り

 翌日のプンタアレナスは、概ね風と雨混じりで時々虹が出るような天気雨。町の全体を回り、二つの博物館と土産物屋をいくつか回る。マゼラン海峡は灰色の世界に包まれ、海峡の先には悪魔が潜む雰囲気さえ感じる。まぶしい日光があたるより、おどろおどろしい方がマゼラン海峡に似合っている感じがする。
 マゼラン海峡のさらに南には、アルゼンチン領のウシュワイナ、その先にチリ領のプエルトウィリアムス、そして遠くに南極となる。「今回は、この辺で勘弁してやるぜ」って感じで、南下は終了となった。

19.jpg


 ガブリエルさんには、手厚くお礼を言い別れた。プエルトモンで知人と合流し、生ウニやダイナミックなステーキなどを、またまたごちそうになる。
 ロサンジェルスでは、友人と「さぬきの里」で天ぷら盛り合わせや筑前煮などをつまみに、セルベッサ改めアサヒビールなどを飲む。
 成田エキスプレスで昔住んだ町を通り過ぎるころ、文庫本(宣戦布告・下)を読み終えた。以前のトゲトゲザラザラした頭の中は、南下の出来事で充満し、ストレスが抜け落ちたような感じがする。なんかイイ。(おわり)

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