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イースター島にぶらりと行ってみた

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01.jpg  旅の計画を立てる楽しさ。これが旅行の醍醐味の半分を占めると言っても過言ではない(んー、ちょっとは過言か?)。


 

-- はじまり --

 今回は、出かける時期は決まっていたが、旅先を調べたり、色々なことを比較したり、手配するといった時間がなかなか取れなかった。航空券はメールとFaxと振込だけ、宿は2ヶ所をメールで1ヶ所をWebでと、顔どころか電話もしてないという、かなり手薄な段取りのみ。二年ぶりの海外なのに醍醐味半減だった。
 出発前の数週間は深夜にタクシーで帰ってくるなど、あまり寝る時間もない感じだったし、前夜にパッキングと目覚まし時計の設定を三回ぐらい確認して、やれやれなんとか朝3時半ぐらいにタヒチに着いた。 着いた早々の明け方にビールを求めて出歩くが、飲み屋も閉まり、道ばたには暴力的な目つきの男やお金目当ての女など、ちょっと不気味な感じから旅は始まった。港町なのでしかたあるまい。
 仕事の締め切りの翌日というのは、精神的にも肉体的にも切り替えが難しい。それに、土日で町に活気がなかったし、旅は始まったが、なにかすぐには実感が湧かない。
 到着したら、隣のモーレア島でも散策しようと思っていたが、ひとまずのんびりすることにする。部屋のバルコニーから町の雑踏を聞く。フェリーやコンテナ船が行き来する。モーレア島にかかる雲の変化。ビールを飲んだコップにトカゲがやってくる。少しずつ南の島に着た実感がでてくる。勝手な行動と勝手な解釈ができる自由な旅はいい。

02.jpg ※バルコニーで酒の相手をしてくれたお友達


03.jpg ※役に立たなかったネカフェ(というか単なる飲み屋)


04.jpg ※安宿のバルコニーからの眺め


05.jpg ※ある意味においては旅情かな


06.jpg ※イースター島の陸地の雰囲気


07.jpg ※天候が変わりやすいのは季節のせいか(日頃の行い?)


 宿には空港までの迎えと島内ツアーを頼んであったけど、返信されたメールはあまり親切な内容ではなかった。やや不安な気持ちで税関を出る。宿の客引き(たてまえは紹介所かな?)がずらりと並ぶブースのひとつに、自分の名前がぶら下がっててひと安心。宿のおばちゃんが客を集める間、車の周りで待つことになる。
 話しが横にそれるが、イースター島のマタベリ空港は、NASAがスペースシャトルの緊急着陸に指定しているらしい。TVで見た着陸シーンは、砂漠の広大な地面に降りるような記憶だったが、4000m級(オーバーラン用のリード部分を含む)の滑走路なら着陸できるそうだ。週二回しか飛行機が来ない空港にしては立派な滑走路は、なにか政治的な理由があるのだろう。ついでに、沖縄の嘉手納基地もそういうことになってるらしい。  空気がひときわ違う。酸素、二酸化炭素、窒素など空気を構成する物質のブレンド加減が絶妙であり、少し水分が多く「深」とした感じが、小さく立派な空港の人工的な気配を忘れさせる。
 滞在中は何回も深呼吸したくなる。いや、空気を味わいたくなる。強い南風は南極からきてるかも知れない。ちょっと妄想しすぎか。
 絶海の孤島のイースター島は、隣の島(無人島)まで約500km、人が住む島まで約2000km、南米大陸まで約4000km。人口約4000人(内3000人がポリネシア系民族)が面積は佐渡島の4分の1・・・面倒なので能書きはココを参照されたい。
 宿のおばちゃんは若いバックパッカー4人を集めてきた。車に乗り込み宿へ向かう。イギリスからきたサンダル女。ドイツから東南アジア経由で南米に渡るという地雷男(カンボジアの地雷反対Tシャツを着てた)。それに終始無言のラブラブ男女。
 サンダル女が英語で両替したいと話しているが通じてないので、スペイン語に通訳してやる(「カンビオ」って言っただけだが)。それで、一旦宿に荷物を下ろした後に、村の銀行に向かう。宿のおばさんは、適当に散策して歩いておいでと言う。
 島に唯一の村、ハンガロア。雰囲気は悪くない。小さな港にモアイが立っている。車代わりに馬に乗って買い物袋を下げている現地の人もいる。土産屋が立ち並ぶメインストリート。2、3のレストラントとスーパーとインターネットカフェを頭に入れれば他に用事のあるところはなさそうだ。
 市場(メルカド)のカフェで、インスタントコーヒー(二年前にパタゴニアに行った時に経験済みだが、ほとんどの茶店でネスカフェと言うメニューが載ってる)とパンで軽く食事し、スーパー(スーパーメルカドって書いてあった、たしかJRがやってるスーパーってこんな名前じゃなかったか)で非常食を買う。スーパーでは地雷男が水を買っていた。 適当に宿に向かうが、途中でサンダル女に会う。迷子になったと言う。たしかに道案内があるわけでもないし、地図も大雑把なので、曲がるポイントは周到に覚えておいた方がいい。宿に戻ると、無言男女が庭にテントの設営をしていた。
 さて、宿のおばちゃんに島内ツアーはどうなってるかと聞くと、今日はこれから半日コース、明日はランチ付きの一日コース、明後日は午前中の半日コース、と言うことだった。宿代は、インターネットで予約したから割引だと言う(あれでインターネット予約か)。さらに、「おまえはJICAか?」と聞かれる。JICAの人がツアーに参加すると思えないが、なにかJICA割引もあるらしい。

-- モアイ像 --

 ツアーのバスが時刻通りにやってきた。日本人のガイドも乗ってるが、英語のツアーに参加したので、彼は現地のガイドに奴には日本語で応対するなとクギを刺されている。 バスには20名ぐらいが乗り、日本語、英語、西語でガイドされる。日本語だけは別料金のようだ。

08.jpg ※ほとんどのモアイ像は倒されたり壊されたりしている


09.jpg ※インカ文明の石積技術が使われてると思われる遺跡もある


10.jpg ※朝、昼、夕と表情を変えるモアイ像


11.jpg日本の協力によって修復されたモアイ像


 初日のツアーは、島の中心あたりをまわる。晴れ、曇り、雨とぐるぐる繰り返す不安定な天候。とにかく風が強い。高台から見回すと、牧場のような草原とかブッシュが広がり、ジャングルっぱさや、高い樹木は見あたらない。
 モアイ像は、島の海岸線に沿って散在する他、山や丘の人の集まりやすそうな場所にも存在する。そのほとんどが倒されたり、壊されたりしている。
 島の人口が多かった時代(2万人程度)に、暖を取ったり食糧を栽培したりで樹木がなくなり、風の強い気候からなかなか木々が根付かないようだ。むろん、衣食住に関わる奪い合いや揉め事も多かったことだろう。
 地質的に火山島であり、火山の火口が4ヶ所あり、内3ヶ所はカルデラ湖となっている。海岸には溶岩が固まって出来たと思われる気泡状の岩や石ばかりであり、珊瑚や白い砂浜といったイメージしやすい南の島っぽさは無く、まったく荒々しい。滞在中は川は見かけなかった、真水も大切であったに違いない。また、地震も津波も相応にあったのではないだろうか。
 溶岩によってできた洞窟も多く、天井が開いた洞窟ではタロイモなどの栽培が行われ、収穫後には洞窟の奥に厳重に保存してた様子もうかがえる。
 部族間の抗争や自然災害など、相当に用心深く生活したことで島民が全滅することなく今に至っているのだろう。まさに地球や人類の縮図である。

12.jpg ※カルデラ湖(火山の火口に雨水が溜まってできた湖)


 二日目のツアーは、島の外周を半周しモアイ像の石切場と島に二ヶ所しかない猫の額のようなビーチのひとつに寄る。
 ガイドさんは、熱く語ってくれるがポリネシア文化と用語にはほとんどついて行けない。世界遺産となっているが、立ち入りを制限する柵やロープもなければ、ルールを語る看板もほんの僅か。ましてや監視する人もいない。ツアーでまわる場合には、ある程度の注意説明はあるが、個人でまわる場合にはなんの制約も見えない状態であり、ガイドさんは看板や人工物を置いた場合は、景観が損なわれるし、かと言え何もしないとゴミや落書きが増えるばかりと悩みを訴えていた。とても実感した。

13.jpg ※ビーチでトップレス(?)なモアイ像


 三日目のツアーは、イースター島のなかでも重要遺跡が残るところで唯一管理人がいるオロンゴ(ラパヌイ国立公園)へ向かう。カルデラ湖の横に住居跡と部族連邦の酋長(?)を決める儀式を行った場所である。酋長決定儀式は、各部族の代表者が荒海を泳ぎ、小さな離れ小島に行って、渡り鳥の卵を持って帰るというもの。渡り鳥が巣作りし卵を産んだころを見計らって、運良く卵あれば酋長に就任する。勇者っぽいって言えばそんな気もするが、部族連邦を統制するには必要な無謀なのだろう。

-- タヒチ --

 モアイ三昧は終わり、宿のおばちゃんに空港まで送ってもらう。来た時は5人で乗った車は、帰りは自分一人だった。 21時の便でタヒチの戻る。また、夜23時半ぐらいに到着し、唯一確実に予約できてるホテルへ向かう。バーゲン部屋であるがちゃんとしたリゾートホテルだ。  ここからは、のんびりを決め込む。ビーチサイドでゴロゴロして残りの日を過ごす。最後の日は、フライトが深夜1時の便なので、早々にチェックアウトしてモーレア島をレンタルスクーターで一周してみたりする。

14.jpg ※モーレア島のビューポイントからの眺め


15.jpg ※焼けすぎの夕焼け


-- おまけ --

 最後に喰った物をメモしておく。

<タヒチで喰ったもの>
・タヒチバーガー
 期待したけど、ハンバーグに目玉焼きがのっかてるハワイとかにありがちなハンバーガー。
・メカ・ステーキ
 メカニカルなサウンドが興味をそそる。Mekaという魚らしい、ひょっとしたらメカジキかもしれない。見た目は白っぽい豚肉の感じ、二口目までは本当に豚肉かと思うぐらいの歯ごたえで、魚臭さもない。あやうく、「頼んだのと違うよーん」って言いそうになった。
・ピザ風
 「ヌーベルなんたら」とかかれたメニュー欄にトマト・チーズ・ハム・アンチョビ・・・って書いてあったので、「ピザ?」って聞いたらオカマっぽい店員が「ピザに似てるわ」と。頼んでみると、生地が薄焼きせんべいで具はまさにピザ。味もピザ。
・カツオ・ステーキ
 メニューのポワソン(魚料理)欄から適当に選んだら、輪切りのカツオだった。

<イースター島で喰った物>
・非常食
 これはスーパーで買ったものだが、以前にパタゴニアに行った時は、「パンとチリソース」が何はともあれ出てくる。やはり、非常食としてはクラッカーとチリソースにミネラルウォータが正しいだろう。結局、非常事態にならず日本に持ち帰ったが・・・。
・朝飯
 知らんかったけど、泊まった民宿は朝飯付きだった。起きてネスカフェ貰おうと食堂に行ったら、コンチネンタル朝飯が用意してあった。
・魚ステーキ
 なんだかわからんが、ペスカトーレ(魚料理)欄にあったものを指すと、「豆・ポテト・サラダを選べるよ」って言う。「豆とポテトとサラダをひとつの皿にポン・ポン・ポンとか、ポテトとサラダでボン・ボンとか、ポテトだけでドドーン」と説明してもらう。なるほど、三種類全部でも一種類でもいいらしい「ポテトとサラダでボン・ボン」と頼む。魚はなんだかわからなかった。塩とローズマリーをまぶした魚をオリーブオイルで炒めましたと言う感じ。サラダのドレッシングは、フレンチにマスタードが合わさったので、色は悪いが食が進んでいい感じだった。
・ランチボックス
 一日ツアーの昼飯はツアー社が用意してるようだったが、泊まった宿から行った者は宿のランチボックスとなっていた。俺のランチボックスには、なぜかセルベッサが入っていて嬉しかった。そういえば、宿で飲んだセルベッサ2本分の代金を払ってないなあ・・・。
・魚介盛り合わせ
 最後(と言っても2回しか晩飯の機会はないが)の晩飯は、英語で説明書きがあるレストランに入る。魚介盛り合わせ(魚・海老・貝)のコリアンダーソース仕上げにタロイモ。残念ながら海老は品切れだったが、このコリアンダーソースは旨かった。パスタのジェノベーゼの緑の部分がコリアンダーになってる感じで、コリアンダー独特の香りもそれほど強くなくちょうどいい。このソースはヨーロッパにもあるのかもしれない。

-- あとがき --

 ガイドの熱弁に関わらず、あまり理解できなかったモアイ像の遺跡であるが、ポリネシア文化や用語の難解さにまして、改宗時に古い様式や文化を記録したものを人為的に消失したり、奴隷集めによって島の伝説を話せる識者が連れ去られ、歴史の証拠が少なく、諸説が多々あり曖昧な表現と説得性に欠ける説が多かったのも事実である。
 帰国後に「イースター島の謎」という本を買って読んだ。「出かける飛行機の中で読んでくれ」と前書きにあるとおり、行こうかなと思う人は予習した方がいい。でも、勝手に自説を唱えるのも楽しい。
 4機の宇宙船が、地球の目立たない島に着陸して、燃料としてマグマを吸い上げ、食料として樹木を刈り取り、お礼としてロボットを置いて去っていった。ロボットは操作されることもなく、充電器に置かれたまま劣化し遺跡となった。
 NASAでは、マーズパスファインター(火星探査船)から地球に送られた、火星のモアイ像の映像が公開されている。また、ボイジャー(深宇宙探査船)には、宇宙船のタイプ毎にイースター島への、着陸方法が記載されたレリーフが貼られている。
 妄想はふくらむばかり・・・。

16.jpg ※「マタコイ、アルヨ。」(電池が残ってるモアイ像)


 不思議の島、イースター島でした。 (終わり)

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